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文武館文庫

画像:文武館文庫(外観) 

 

画像:文武館文庫(大子文庫印)
文武館文庫
(大子文庫印)
画像:文武館文庫(内部)
文武館文庫
(内部)

構造

梁間2間(3.64m)、桁行3間(5.46m)、切妻造、妻入、杉の角材を井籠(せいろう)積みにし、内側は角材がそのまま仕上げ材となり、外側は竹小舞に土壁を塗った二階建土蔵造りで、屋根は土壁を塗り固めた上に合掌をおき木羽(こば)茸の屋根をのせる置屋根形式としています。入口の戸は、三重の引戸になっており、外戸は土壁漆喰、中戸は板戸、内戸は板の格子戸です。また、外引戸の上に庇(ひさし)が設けられています。庫内床は、一階、二階とも板張です。土台は栗材、地棟と二階梁は松材、中引戸は欅材で、その他は杉材を用いています。現在の文庫は、昭和60年に解体修理が施され、外壁全体に漆喰を塗り、下部は海鼠(なまこ)が施され、屋根は銅板茸となっています。

大子郷校と文庫の設立

文武館文庫は、水戸藩が建設を進めた大子郷校の文庫(書庫)です。水戸藩は、天保期の藩政改革に際し、文教政策の一環として領内の要所に郷校を建設する計画を進めました。郷校は、藩校弘道館(天保12年創立)が藩士子弟の教育を対象とするのに対し、地方の庶民教育の施設として設けられたもので、水戸藩には天保期以前に設立された医学館(のち郷校と呼ばれる。)なども含め全部で15校あったといわれています。
大子郷校もその一つで、天保年間に建設が計画され、安政3年(1856)8月に開館されました。敷地、建物は、旧大子陣屋跡が充てられました。大子陣屋は、大子組郡奉行治所として享和2年(1802)、水戸藩11郡制の実施に伴い郡奉行が任命され、翌3年に設置されたものですが、天保2年(1831)に4郡制の実施により廃止されました。この際、建屋、備品などの一部が公売に付されていますが、残された建物の一部は、当時水戸藩の文教施設として活用され、学館又は医学館と称して、郷医や神宮、地方有志の子弟達を対象に医学書や儒書の講習会が行われました。一方、こうした教育に必要な書籍も購入蒐集され、ここに至って書庫の建設が計画されました。現在の文庫がそれで、学館の書庫として嘉永3年(1850)春に建設されたものです。
学館は安政2年(1855)9月に郷校として取り立てられ、同年11月には大子村文武館として新たに普請拡張されて、翌3年8月に大子郷校文武館として正式に開館しました。これ以後、医学書などの講釈に加え、幕末の内憂外患の世情を反映して武術や砲術の修練も行われ、文字通り文武兼備の学館としてその機能を発揮しました。文庫には当時、約4600冊の和書、漢籍が収められていた(『大子館蔵書目録』)といわれていますが、現在は不明です。
大子郷校文武館は、明治4年(1871)7月の廃藩置県とともに廃校となり、敷地、建物は翌5年の学制に伴い小学校設置へと改変していきましたが、文庫は今なお現存して県内唯一の貴重なものとなっています。

 

  • 区分:大子町指定文化財
  • 種別:史跡
  • 員数:1棟
  • 所在地:大子558ほか(だいご小学校)
  • 指定年月日:昭和50年9月12日

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