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木造阿弥陀如来坐像

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 像高52.5センチメートル、一木造、彫眼、漆箔の像です。なかば朽ち果てた状態で発見されました。復元すると、右手前膞(ぜんはく)部の形から腹前で両手を組む形の定印(じょういん)数結び、衲衣(のうえ)を左肩にかけ、わずかに衣端を右肩に露わす編袒右肩(へんたんうけん)にまとい、両足裏を上に向けて組み坐る坐法である結跏趺坐(けっかふざ)と考えられます。ほぼ半等身の阿弥陀如来坐像です。檜材を用い、巻毛をかたどった頭髪である螺髪(らはつ)は切付け、首に三本の横皺の三道(さんどう)を現わし、頭体部を一材で造り、体部だけ内刳り、両肩も共木(ともぎ)から彫出し、右手は臂、手首を矧ぎ、背面背板から左体側部、両手首、両足部が失われています。
作風は、平安時代中期の天喜元年(1053)、宇治平等院鳳凰堂の本尊阿弥陀如来像を造った大仏師定朝(じょうちょう)によって完成され、和様彫刻の典型として普及した定朝様を踏襲するものです。頭頂に見られる隆起の肉髻(にっけい)は、椀を伏せたような整った形に現わし、やや大ぶりの螺髪を刻み、面部の輪郭は豊かな頬をもって円く、眉は半月形、目は伏目、鼻と囗は小さくなっています。一方、肉身表現も無理なく、頭体部の均整はよく、体部にまとう衲衣の襞(ひだ)は、肩から腹部におとなしい曲線をもって平行にかかり、彫りは浅くなっています。このような作風は、平安時代末の平明で温雅な様式ですが、あわせて目尻がわずかに吊り上がり、面部に張りの見られる表現には、鎌倉時代に移行してゆく強さが調和よく加味され、平安時代後期、いわゆる藤原時代末から鎌倉時代はじめ、藤末鎌初(とうまつけんしょ)の制作です。そして、この像の本格的な錆下地漆箔仕上げは、作風とともに、明らかに天台教団における専門仏師の作例であることを物語ります。
安楽院常照寺は、天文16年(1547)の建立と伝えられています(『開基帳』)が、おそらくこの年は中興であると思われます。天台系の像であるこの阿弥陀如来は、浅川など八溝山麓一帯に平安末・鎌倉時代はじめ、浄土信仰が広まっていたことを証しています。天台宗は、八溝山とそれに続く山林修行の山なみや山麓に、浄土教の教線を展開していったと思われます。安楽院の近くには、八溝山頂のよく見える山麓での拝所である伏拝(ふしおがみ)の地、八溝山遠鳥居(とおのとりい)がありました。同地に近い真弓神社には、遠鳥居に掲げた大きな「八溝山」の扁額(へんがく)が遺されています。廃寺となった安楽院の孤立した堂に安置されているこの像は、八溝山と山林修行そして天台宗浄上教の深い影を伝えています。

  • 区分:大子町指定文化財
  • 種別:彫刻
  • 員数:1躯
  • 所在地:浅川2757(安楽院常照寺 廃寺)
  • 指定年月日:昭和56年7月17日

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