押川流域の集落の中で、出土する遺物が他の集落のものとは異なっているのが手平内遺跡(塙平A遺跡)です。
昭和38年12月の調査で、1軒の住居跡を確認しています。この住居跡は、東西4.3m、南北3.35mの規模をもち、東壁南寄りに竈(かまど)をもっています。竈は裾の部分に河原石を使用していますが、全体としては粘土で構築されているため、竃跡の残り具合は悪くなっています。南西端には掘込みが見られますが、遺物は見られず、用途は不明です。この住居跡は平安時代特有の柱穴をもっていないものであり、住居跡1軒の人数は、平均4〜5人と推定されます。
調査された住居跡からは、土師器の皿、坏、高台付坏が出土しています。圷、高台付圷は、内黒のもので、底部や胴の所に墨書されているのが確認されています。このうち1点は「具」と判読できますが、他のものは字体を特定できません。墨書土器が見られるということは、各地の例から類推してみると、8〜9世紀の官衙的遺構と考えられます。
地図を見る:手平内遺跡
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