久慈川中流域と生瀬盆地、里川、山田川流域、さらに遠く下野国方面と太平洋岸を結ぶ幹線道路であり、古くから重要な街道でありました。 『新編常陸国風土記稿』に「岩山岩松多し、小生瀬より平易なり、袋田よりは険坂十五六町登る。此道は天下野辺並小里郷より大子馬頭下野国に至る。東濱魚荷の道なり」とあり、鉄道開通以前の塩・魚の移入路でありました。
地図を見る:月居古道(東濱漁荷の道)
※別ウィンドウで地図が表示されます。