像高76.5センチメートル、ヒノキ材の寄木造り、玉眼嵌入、彩色の像です。髪を美豆良に結い、袍衣に袈裟をかけ、左手に柄香炉を持ち、右手で蓮茎をとる姿の太子16歳の孝養像です。頬の肉どり豊かで、眉目のわずかに吊り上がった容貌は生彩のある表情を示し、聡明な太子の相をよく表して、彩色も精緻です。制作は、江戸時代、延宝2年(1674)の徳川光圀による新堂宇建立とほぽ同じころと思われます。
金沢の地には古くから太子堂があり、如信はこれを門弟乗善房に守らせたと伝えられています。如信や乗善房など初期真宗門徒の聖徳太子への信仰は、宗祖親鸞が京都六角堂で参籠中、太子の示現に接して法然門下となったいきさつから、強烈な太子への帰依を示すこととなります。太子堂はもと字堂向の鎌倉館山頂にありました。これを光圀が今の地に移し、新堂宇を建立したと伝えられています。当初の太子堂にもおそらく太子の徒による鋭い目を現し、左右別個に持物を持つ太子像が祀られていたことと思われます。
法龍寺の祠堂に安置されるこの聖徳太子立像は、その形相と左右の手にそれぞれ別個の持物を持つ点から鎌倉中期以降に出現する太子16歳の孝養像の原型により近いものと判断されます。初期の真宗門徒の聖徳太子への信仰を投影するもので、重要な意味を成すものといえます。
地図を見る:木造聖徳太子立像
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