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大子漆(だいごうるし)

大子漆 生産技術

大子町における漆の栽培は古く、水戸藩二代藩主 徳川光圀が植栽を奨励し、農民の持ち高一石につき漆の木1本を植えさせたとされる。当時は、塗料のほかに蝋燭(ろうそく)に用いられていた。明治初期は約3トンの採取量があったが、やがて海外の安価な漆が出回り国産漆は衰退したが、大子漆は他産地と比べて透明度が高く高品質なため、昭和初期から福井・石川・福島などから季節労働者として漆かきが大子町や常陸大宮市及び栃木県那珂川町に滞在して漆を採取。地元の人がその職人を世話をし、技術を学んだ。

最盛期の昭和10年から30年には、150人以上いた漆かき職人も高齢化などにより減少したが、平成22年に大子町や栃木県の漆かき職人10名により大子漆保存会(飛田祐造会長)が発足。それまで大子漆、奥久慈漆、西金漆などさまざまに呼ばれていた名称を、歴史的・文化的背景を加味して「大子漆」で統一することにした。

保存会会員は現在17名、顧問3名であるが、技術の伝承が大きな課題となっている。令和元年度現在、国内の漆採取量1位は岩手県の約900キロ、茨城県はそれに次ぐ2位で約300キロ、3位が栃木県の約120キロである。大子漆は、茨城県採取量の9割以上を占めるほか、栃木県で採取される漆も大子漆として出荷されている。(栃木県で4代続く漆かき職人の秋田稔氏は大子漆保存会顧問)

大子漆の漆木は若木の根を切り分けて発根、発芽させる「分根法」で苗を作り、植林する。採取するまで約10年間育成し、1年間掻いた木は切り倒す「殺しがき」と呼ばれる手法を取っている。また、大子漆は主成分のウルシオールを多く含むため透明度が高く、人間国宝の漆芸家(大西勲・村山明・等)や全国の重要文化財(京都 知恩院等)の修復には無くてはならないものである。

その品質の高さは、苗作りから育成、採取、出荷にいたるまでの高い技術のたまもので、技術継承は全国一とされる大子漆の存続に係る重要問題である。

 

  『大子漆1』の画像『大子漆2』の画像
  • 区分   : 大子町指定文化財
  • 種別   : 無形文化財
  • 団体名称 : 大子漆保存会 (事務局 大子町役場 農林課・大子町特産品流通公社)
  • 内容   : 大子漆の生産及び技術の伝承

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